タロットセラピストが見る日常

タロットセラピーの活動をするインディゴエイジ・アレクサンドロ原田の気付きと学び。キーワードは「自分で考える」「他人のせいにしない」。

エネルギーを高める

通行止めに悪態をついたドライバー

これから年度末に向けて道路工事が増えてきます。便利に通行できる生活には道路の補修が必要ですから、工事に伴う多少の不便は忍耐したいものです。そして工事の予告は前もって出されますから、情報収集して賢く行動プランをたてたいものです。

先日ある通行止めを伴う道路工事現場で作業員に悪態をついているドライバーが居ました。左ハンドルの外車に乗っている男性ですが、どうやら通行止めになっているのに気付かずに入り込んできて、工事現場の手前で行き止まりになっていて進めなくなってしまったというわけです。

その時の台詞たるや、「通行止めの看板くらい出しとけ!」と怒鳴る彼に対して作業員は平身低頭でお詫び、それに対しても「あたりまえだ!馬鹿野郎!」、そして運転席から降りてきて責任者と思われる作業員に何かを罵ったのち方向転換していきました。こんな人ってまだまだいるんだなあと改めて思いました。

しかし私は看板を出しとけという台詞がひっかかりました。工事に伴う道路使用許可は通行止めの看板を出して明示するなどの条件を警察署から指定されるはず。そこで私は道路の反対側まで歩いて見に行きました。

そうしましたら、工事現場で良くみかけるタイプの通行止めの看板がしっかりあり、ガードマンもちゃんと立ってました。普通に前をみて運転していたらまず見落としません。いったい彼はどこを見て運転していたのでしょうか。
 
人間は視界にある全ての情報をキャッチするのではなく、自分に興味や関心のある情報や必要と思われる事柄を優先して処理して残りは捨てるようになっています。全部扱うと脳の処理が追い付かなくなるからです。通行止めの情報に興味を持つ人は少ないかもしれませんが、運転する上では必要な情報なのでキャッチすることになります。

ところが彼の場合は、自分に都合のいい情報を優先してキャッチして、都合の悪い情報は無意識に捨てる傾向が顕著だったのかもしれません。だからこのようなことになってしまったのでしょう。とはいえ社会で生きていく上では、自分に都合が悪くても必要な情報もあります。そういう情報を掴む勇気も忘れないでおきたいものです。

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カップ7
聖杯7 現実や事実よりも、自分の想像や推測に注意が向いている状態。

バイオリン名器の音色、現代モノと大差なし?

読売新聞の記事に興味深い内容がありました。家を手放して楽器を買ったというお話も枚挙に暇がない、バイオリンの名器「ストラディバリウス」などが、現代のバイオリンと大差ないと判断した演奏者達の話題です。

記事によりますと、仏パリ大学の研究者たちは2010年、米インディアナ州で開かれた国際コンテストに集まった21人のバイオリニストに協力してもらって実験をしました。楽器が良く見えないような状態で、名器のストラディバリウスから現代の安いバイオリンなど計6丁を演奏してもらって。どれが一番いい音か尋ねるという実験です。

結果、 安い現代のバイオリンの方が評価が高く、ストラディバリウスなどはむしろ評価が低かったそうです。研究チームは、「今後は、ストラディバリウスの秘密を探るより、演奏者が楽器をどう評価しているかの研究に集中した方が得策」と、名器の歴史や値段が聞き手の心理に影響している可能性があると結論付けました。

このように社会の評判とか権威とか周辺情報に惑わされて良いものだと思いこんでしまう現象を、心理学では「ハロー効果」と言います。ハローは英語の挨拶ではなく、後光が差している状態の意味です。日常生活でもその人物を良く知らないにも関わらず、一流大学を卒業しているというだけで大物だと思いこんだり、逆に低学歴というだけで人物そのものを低評価したりなど、ハロー効果は無意識のうちに体験しています。ブランド品を欲しく鳴るのも、ハロー効果の一つです。

そして、人間はいかに対象物そのものを見ず、周辺情報による決めつけや思いこみで判断しているかということです。今回はバイオリンも例外では無かったことが証明されました。

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15悪魔
悪魔 人間はいかに思いこみの呪縛から逃れられないでいるか、ということです。

メディアが国民に認識させまいと隠ぺいしていること

ブータン国王訪日のお話もすっかり話題にならなくなりましたが、その時の演説には非常に重要な内容が含まれており、それを忘れないためにあえてこのタイミングで投稿致します。

ブータン国王の演説についてテレビで報道された映像は、重要な部分をカットした編集でした。カットしたのは、その部分に「国民に知らせたく無かったこと」が含まれているからです。

そのカットされた部分は以下のような内容でした。
  • 世界史において、かくも傑出し、重要性を持つ日本。
  • ブータン国民は、常に日本に強い愛着の心を持ち、何十年もの間、偉大な日本の成功を心から分かち合ってきました。
  • 日本は、当時外国の植民地であったアジアに自信と進むべき道への自覚をもたらし、以降、日本に続いて世界経済の最前線に躍り出た数多くのアジアの国々に希望を与えてきました。
  • 日本は、過去においても現代においても、世界のリーダーであり続けます。
  • このグローバル化した世界において日本は、技術と革新の力、勤勉と献身、強固で伝統的な価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。
即ち
「日本は世界史において重要なポジションを担ってきました。過去にはアジア諸国を欧米列強の植民地支配から解放し、アジア諸国に自信や希望を与えてくれました。日本が本来持っている伝統や価値は世界に対する模範になるべきものであり、日本は世界のリーダーになるべき存在です。」
ということです。

メディアは、このことを日本国民に認識させまいとしてこの部分をカットしたのです。日本国は太平洋戦争終戦以来、米国に逆らうことがないよう徹底的に洗脳されてきました。その一つがGHQや日教組による、日本人に 自虐的価値感を植え付け、自信を徹底的に奪い取る歴史教育です。その延長にあるマスメディアもそれに応じた情報操作を行っている(支配者にさせられている?)のが現状です。

テレビでやっていないから、ではなく、テレビが報道していないけれど真実として存在することは何だろうか?ということに私達一人一人が思いを巡らせることが今求められているのではないでしょうか。

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18.月
 目に見えないから分からないではなく、見えない事にこそ真実があると考えよう。意図的に見えなくさせられていることもあるのだから。

 

2月に私はとんでもないものをお持ち帰りしたようです

2009年2月に私は千葉県銚子市に屏風ヶ浦など海の風景を眺めに日帰り旅行をしました。日本にもこんなに素敵な場所があるんだと感激、名物のお寿司も美味しかったです。それで満足して返ってくればいいのに、余計なことをするから余計なことになるんですよね。

屏風ヶ浦の海岸から戻る途中、小さなお寺に吸い寄せられるように行きました。本堂は閉まってましたが、障子に隙間があったので中をのぞき込んだのです。薄暗いし、あまりいい気配のエネルギーではなかったです。そのときなにかゾクッとしました。陰気臭いなあと思いましたし、長く居たくないのですぐ立ち去ったのです。

しかしながら、その時に私はとんでもないものをお持ち帰りすることになったのです。

翌日から困った状況が立て続けに起こりました。翌日に調子良かった麻布十番の仕事が急に3月で引き上げになることを突然知らされました。何年も使っていた自転車置き場の抽選に外れました。タロット通信講座がランキング急落して回復に一ヶ月かかりました。そして4月からの仕事は肌に合わなくて苦労が続く、などなど。

自分では何か変容と成長の時なのだろうなと思っていたのですが、先日実は銚子で何かの存在をお持ち帰りしたままだったことに気付きました。すぐさま自分でお祓いをして、お引取り願いました。私がちょっと隙をつくった時に入ってしまったようです。ちょうど私がエネルギー的に落ちていてチャージするために出かけた旅行でしたからね。私を心配して付いてきてくれた存在だったようです。困ったことが起きたのは、一緒に居ることでエネルギーを持っていかれたから。だが、完全に邪悪なものというよりは、これをきっかけに私自身がいろいろなことを見直すことが出来たのも事実です。

そこで私は感謝とともにサヨナラすることにしました。なお、名誉のために申し上げますが、このような現象は決して銚子だから発生するものではありません。どの地域でも同じように発生しうることです。また、冒頭でも書きましたように銚子は魚の美味しい街ですし、名物伊達巻寿司は強くお勧めいたします。屏風ヶ浦の風景は東洋のドーバーと言われる程です。

祖父の旅立ちに臨んで考えたこと

私達はいろいろな事柄で卒業そしてその後にくる旅立ちを経験していきます。幼稚園の卒園式が終わって小学生になり、小学校・中学校・・・と卒業式をしてい くという行事的な卒業もあれば、今まで出来なかったことが出来るようになるという比喩的な卒業もあります。卒業の次には新しい旅立ちがあります。私達が最 後に卒業するのは、もしかしたら人生そのものではないでしょうか。魂が肉体を手放して次なるステージへと向かう、冥界への旅立ちです。

先日祖父が亡くなり、長い人生を卒業して冥界へと旅立ちました。近親者のそれも本当に近い人たちで集まって式を執り行いました。その時に身にしみた言葉が二つありました。

一つ目は家族の一人がぽろっと言った「(神様に)許可された期間を生かされた」という言葉です。私達は自分で 生きているって思い勝ちですが、どんなに若くても実は「その時」は明日やってくるかもしれないし、10年後、50年後、100年後かもしれないのです。だ としたら一日一日を大切に有意義に過ごし、今日生きているということに感謝するべきなんだなって、すっと感じました。あ、生かされているってこういうこと なんだなと。「生かされていることに感謝」って言葉はあっちこっちで聞きましたが、小生35年間生きていて初めて「生かされているってこういうことなんだ な」って腑に落ちました。

二つ目は式のお世話をして下さった方の言った「冥界へ旅立ちます」という言葉です。旅立ち・・・そうか、そう いうことなんだなって思いました。死を迎えるということはあらゆることの終わりであると考えられることが多いようですが、実は終わりなんかじゃない、魂は 肉体を手放して新しいステージを始める、その瞬間なんだなってことです。だとしたら私達はその旅立ちを「感謝とともに祝福」するべきではないかと。執着し たらオジイチャンは安心してあの世へ旅立つことが出来ないじゃないの。長らくの三次元での人生を終えて、いよいよ次が始まるんだなと・・・ずっとそんなこ とを感じていました。

厳かであるべき式に対して、祝福といった言葉を使うのは不謹慎だと思う方もいらっしゃるかと思います。そう思われた方、どうぞコメントを残して いって下さい。あるいはそういうこと考えているヤツがいるって、あっちこっちに言っていただいて構わないです。この日記ではただ私が感じたことをそのまま 綴ったものです。

お読みいただきましてありがとうございました。
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