最近頭に浮かんでくるフレーズです。
 
一億総受け社会とは受身の姿勢の人が非常に増えている社会のことです。

すなわち、「自分が出来ることは何か?」「自分がするべきことは何か?」「自分がしたいことは何か?」という当事者意識的な発想がすっかり抜け落ちて、「誰かに何かをしてもらう」という発想しか出来なくなっていることを、ここでは「受身」と定義致します。

さらに進みますと、「誰かに何かをしてもらう」と発想しても実際にしてもらえるとは限りませんから、「誰々が何々してくれない」「自分は何々してもらえない」という発想になります。モンスター何々もこのあたりに起因しているのではと思うことがあります。

あるいは「何々は誰々のせいである」「何々は何々が悪い」というように、自分以外の他人や物のせにしている姿勢も含まれます。

なんといいますか、自分で創るとか自ら行動するとか、そういう発想が奪われて、ひたすら誰かから与えられるのを待っている(そして思い通りに与えられないことに不満を述べる)という発想しかしない「受身」の姿勢が増えているように感じられてなりません。

実は日本が「一億総受け社会」になったのも戦後のGHQの指導によるものだとされています。即ち自ら行動する意欲や当事者意識を失わせて、連合国 に逆らおうとする意識を無くさせ、連合国の言いなりになるように仕向けたということです。その指導の成果が現在現れているというわけです。

だからといって受身の人が増えたのはGHQのせいだ!で結論付けてしまっては、まさに他人のせいにする「受身」の姿勢となってしまいます。こんな 世の中だからこそ、「自分に出来ることは何だろう?」「自分がするべきことは何だろう?」という発想が出来るようになりたいものです。

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