私達はいろいろな事柄で卒業そしてその後にくる旅立ちを経験していきます。幼稚園の卒園式が終わって小学生になり、小学校・中学校・・・と卒業式をしてい くという行事的な卒業もあれば、今まで出来なかったことが出来るようになるという比喩的な卒業もあります。卒業の次には新しい旅立ちがあります。私達が最 後に卒業するのは、もしかしたら人生そのものではないでしょうか。魂が肉体を手放して次なるステージへと向かう、冥界への旅立ちです。

先日祖父が亡くなり、長い人生を卒業して冥界へと旅立ちました。近親者のそれも本当に近い人たちで集まって式を執り行いました。その時に身にしみた言葉が二つありました。

一つ目は家族の一人がぽろっと言った「(神様に)許可された期間を生かされた」という言葉です。私達は自分で 生きているって思い勝ちですが、どんなに若くても実は「その時」は明日やってくるかもしれないし、10年後、50年後、100年後かもしれないのです。だ としたら一日一日を大切に有意義に過ごし、今日生きているということに感謝するべきなんだなって、すっと感じました。あ、生かされているってこういうこと なんだなと。「生かされていることに感謝」って言葉はあっちこっちで聞きましたが、小生35年間生きていて初めて「生かされているってこういうことなんだ な」って腑に落ちました。

二つ目は式のお世話をして下さった方の言った「冥界へ旅立ちます」という言葉です。旅立ち・・・そうか、そう いうことなんだなって思いました。死を迎えるということはあらゆることの終わりであると考えられることが多いようですが、実は終わりなんかじゃない、魂は 肉体を手放して新しいステージを始める、その瞬間なんだなってことです。だとしたら私達はその旅立ちを「感謝とともに祝福」するべきではないかと。執着し たらオジイチャンは安心してあの世へ旅立つことが出来ないじゃないの。長らくの三次元での人生を終えて、いよいよ次が始まるんだなと・・・ずっとそんなこ とを感じていました。

厳かであるべき式に対して、祝福といった言葉を使うのは不謹慎だと思う方もいらっしゃるかと思います。そう思われた方、どうぞコメントを残して いって下さい。あるいはそういうこと考えているヤツがいるって、あっちこっちに言っていただいて構わないです。この日記ではただ私が感じたことをそのまま 綴ったものです。

お読みいただきましてありがとうございました。

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