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最近「ヤフーちえぶくろ」で見かけた話題なのですが、『コンビニ等でお釣りの受け渡し等の時、お客さんが店員さんに「ありがとう」と言っているのを見かけるとムカツク』という主旨の投稿がありました。ええっ!?って私は思いました。私は、誰であれ人に何かをしてもらったらお礼をいうのは当たり前のことだと思っていました。

そういえば知人の話で、職場でお土産を貰ったお礼に「ありがとう」といったら、不機嫌そうな顔をされて、「そういう時は、すみませんって言うべきだ。ありがとうは上から人を見下ろしたような言い方だ。」と言われたというのを思い出しました。

なんで「ありがとう」にムカツク人たちが居るんだろう?
「ヤフーちえぶくろ」の複数のコメントを読んでいたら、ある種の共通点が見えてきました。それは、『自分は他人に感謝されるような価値のある人間ではない、という半端じゃなく強いコンプレックス』があるのではないか?ということです。

人間には、自分がコンプレックスを抱いている事を表面化させている人を見ると不快に思う特質があるとされています。だから、自分はありがとうを言われるような価値は無いと思い込んでいる人には、「ありがとう」が不快に思うのかなと考えました。

世間一般では言われて嬉しい言葉(勿論口先だけでなく、本当に心がこもっているという前提で)とされている「ありがとう」にムカツクなんて、どうしてそんな風になってしまったのか、その過程(生育暦など)が、私は気になりました。


こんな話を周囲の人にしたら、いろんな話が出てきました。


例えば、「ありがとう」への理解の仕方の違いではないか?という話がありました。即ち、職場のお土産氏はありがとうを目下への物言いだと理解していて、それはこれまでにそうとしか教えられなかったから、そうとしか身につかなかったのでしょう、ということでした。お子様のいらっしゃる方で、自分の子供には、常識的な事が常識的な形で身につく環境を作りたいと言っていました。

別の周囲氏は、大事にしてもらいたい人が多いのに、自分の価値を認められないから、それが歪んで、相手はもっと無価値でなければいけないということになって、スミマセン、スミマセンと自分を責めなさいという理屈になっているのかな?と言っていました。
自己無価値感仲間を増やしたい、みんなそうなら寂しくない、そんなことを言っていました。ちなみにその周囲氏はコンビニで店員さんにお礼を言うと、たいてい嬉しそうにしてくれるって言っていました。

スーパーで働いている知人氏は、(そういうこと考える人は)店員の事を自動人形か何かと捉えているのではないかと言っていました。便利さゆえに、人と接する機会が少なくなったことの歪みと捕らえているように思いました。

そして別の知人氏は、コンプレックスが邪魔をして相手の好意を素直に受け取れないのかなと言っていました。すなわち許容範囲が狭くなっているからとのことです。

最後の知人氏は、「ありがとう」という対等な言葉よりも、「すみません」という自分が優位になる言葉を相手に言わせることにより、相手の謝意などのマイナス感情を求めているからではないかと言っていました。


やはり、自分に対する無価値感が発端になっているのかなと思いました。本当に色々な話が出てきて、私自身も思わぬ勉強になりました。考えていることを他人とシェアするって大切なことですね。その為にも誰もが自分に自信をもって生きられる世の中になって欲しいなって思いました。ありがとうと言って恨まれるような世の中はカンベンして欲しいです。

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